職場の話はしませんよ。
御中

昨日のニュース記事でしたでしょうか、就活中の学生さんが会社宛の返送用封筒か何かの宛先記載で、「行き」を消して「御中」に改める必要性を感じない、というような記事がありました。

これ、わかります。
私もたぶん、20歳前後のころはそういう考え方をしていました。合理性がない、必要性を感じない、よって意味がない。

また、常識にとらわれずに疑問を持つ姿勢が大切だ、とか世間の大人はいうわけですが、常識に異を唱えたら唱えたで、「そんなもん、常識でしょ?」とつぶしにかかる。

社会人経験を少しは積んでみた今となって思うことは、若いときは「常に自分視点だった」と感じます。自分は〜と思う、自分は〜だと考える、というふうに、考える際の主語が常に自分なんですね。

社会に出てみて気づくのですが、
本田健さんの本などにもあるように、自由経済の中では、「自分が提供するサービスに対して対価が支払われる」んですよね。これはビジネスパーソンであっても、歌手であっても、作家であっても、政治家であっても同じです。サービスの価値が高ければ、より多くの人にサービスを提供すれば、対価は高くなります。

対価、の発生に必要なものは「買い手」、すなわち「受け手」です。

それを意識すると、「相手視点になる」んだと思います。相手は〜と思うだろうか?相手は〜と考えるだろうか?と。

先の議論に戻ると、御中に訂正しないことで、受け手が不快に思う可能性があるなら、訂正することでそのリスクを排除することが正解だと、私は思います。意味がないかどうかを判断するのは受け手です。

手間と天秤にかけて受け入れられない、あるいは自分の思想として受け入れられない、というのなら構いませんが、それによって生じるリスクも自分持ちです。
自分のほうが正しいはず!受け入れない会社がオカシイ!というのは自由ですが、その結果、評価が下がるという結果は自己責任で受け入れる必要があります。

俺の料理は世界一、旨くないというのは客の味覚がオカシイ、という料理屋がつぶれたとしても、それは料理屋の責任であって、客の責任ではないですからね。

仕事=サービスの提供と考えた場合、ホテルマンはかなりの無理をきいてくれる存在ですが、時として、その分が料金に乗ってくるわけです。

対価を妥当な額に引き上げる。それも、一つの考え方だと思います。
雑事 comments(0) trackbacks(0)
Comment








Trackback
この記事のトラックバックURL: トラックバック機能は終了しました。
<< NEW | TOP | OLD>>